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終戦の日によせて

2020年8月15日

この時期になると閣僚や政治家の靖国参拝が話題になるが、今からはっきり表明しておくと、私はどんな立場になっても靖国参拝はしない。なぜなら、そこには誰もいないからだ。私は神社、仏閣は全く信じない。墓すら意味を見いださない。それらは全て生きている人間が自分たちの慰めのために勝手に行っていることで、もし死後の魂があったとしても、彼らはそんなことは望んでいないし、そんなところに留まってはいない。肉体やこの世の全てのしがらみから開放された魂が望むとすれば、生きている我々が死への恐怖やどうでもよいこの世でのしがらみに囚われず、魂から湧き出る本当の望みにしたがって生きることだろう。なぜなら、もし死後の魂が存在するならば、この世限りの狭い価値観こそが問題の本質であることに気づくからだ。つまり、あの戦争の惨禍を生み出したものは、それに囚われて魂の望みを圧殺して行動したその時代の全ての人たちであり、我々に同じ過ちを犯して欲しくないと望んでいるに違いない。この世の全てに対する恐れが幻想であると気づいていれば、自分たちの内なる嘘と戦う方法はいくらでもあったはずだ。今の我々はどうだろう?同じ過ちを犯していないだろうか?

もし我々が毎年靖国神社に参拝するほど、死後の魂の存在を信じているなら、この世の全ての恐れを一旦手放し、魂の本来の望みに従って生きればいい。そうすればこの世の狭い価値観に囚われず、道を外すことなく悔いなく生きられる。しかし我々がそれに囚われれば、嘘が嘘を呼ぶことになる。実際、我々の戦後史は嘘の連続である。憲法9条で戦力を保持しないと明記しながら米国に言われるままに自衛隊を持ち、辻褄合わせのために個別的自衛権は否定していないと解釈で逃げ、その延長線上でさらに解釈を変更して集団的自衛権まで認め、それに反対する人々も在日米軍の矛盾に口をつぐむ。世界最強の軍隊を駐留させて安全保障を保ち、その基地を通じてベトナムや朝鮮半島に送られた軍隊が大量の死者を生み出し、非核三原則を掲げながら核をフリーパスさせている国のどこが平和国家なのか?

もし我々が彼らの魂に報い、本当に平和な世界を作る術があるのだとすれば、まずは全ての恐れを手放し、自分の魂の声に耳を傾けることだ。決して情報や狭い大義にごまかされてはいけない。日本人として、日本のため、正義のため、陛下のため云々、国境も人種も正義も国体も全てこの世だけのかりそめの嘘でしかなく、死ねば幻と消える。その時に気づいても遅い。その瞬間に頭を巡るのは、自分の生きた人生、魂に刻まれた記憶だけだ。それはあなただけのものであり、あなたが好きに刻むべきものだが、今、その声に耳を傾けて行動できるか否かで決まる。全ての人がそうして生きられれば、戦争など起こるべくもない。心の底から誰かを殺したい人などほとんどいないだろう。そういった意味で、もし私があの戦争で命を落とした全ての魂に報いる方法があるのだとすると、それは決して靖国神社に参拝することではなく、今生きている全ての人が自分の心のままに生きられるよう勇気づけ、その力を取り戻してもらうことでしかない。それ以外に、本当にこの世界に平和をもたらす方法があるのだろうか。

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