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2020年8月6日に寄せて

フェア党代表 大西つねき

75年前の今日、原爆はただ雨のように落ちてきたわけではない。それは天変地異ではなく、人が落としたものだ。もちろんいきなり落ちてきたわけでもなく、3年9ヶ月にも及ぶ戦争の最後に、無数の人々の決断と行動の結果具現化した現実である。無数の人々とはアメリカ人、日本人双方を含み、恐らく違う結果をもたらした分岐点はいくつもあったに違いない。しかし、我々はそれを選べなかった。決して日本人が悪かったと言っているわけではない。少なくとも双方が起こしたことであり、我々にもそれを避ける選択肢はあったかもしれないと言っている。

 

あれから75年経ち、我々の国には広島、長崎に原爆を落とした占領軍が今だに駐留し続けている。非核三原則など建前だけで、公然と核が持ち込まれていたことは歴代の内閣も承知している。その核の傘の下にいるから核兵器禁止条約にも不参加である。また、核兵器ではないにしても、在日米軍基地を経由して朝鮮戦争、ベトナム戦争には多くの兵力が送り込まれ、多くの人々の命を奪っている。我々の政府がアメリカの政府に貸しているお金の一部が戦費として使われ、中東の人々の頭上にミサイルを降らせた可能性も十分にある。

 

我々はあの悲惨な戦争から何か学んだのだろうか?肌に刻みつけられた死への恐怖だけだろうか?それを招いた我々自身のあり方について、何か反省や教訓はなかったのだろうか?自国の兵士に降伏や投降を禁じ、6割も餓死や病死させるまでズルズルと勝ち目の全くない戦争を続け、果てには特攻のような自爆攻撃すら自ら止められなかった我々は、あれから変われたのだろうか?

恐らく戦後75年間、我々が今に至るまでには無数の選択肢があって、違う未来を作るチャンスはいくらでもあったに違いない。しかし恐らく我々は相変わらず何もしなかった。原爆を二発も落とされた自己憐憫に浸り、毎年情緒的なセレモニーを開いてただ祈るだけで、それを落とした在日米軍の核の傘の下に入っても、何の矛盾も感じないまま生きてきた。そろそろ我々は、もう一度あの戦争に向き合うべきではないだろうか?

 

問題は核兵器ではない。人である。それを持つ人、使う人、頼る人。我々自身が頼る人である限り、まずはそこに向き合わなければ何も始まらない。我々が本気で核兵器を廃絶したいのなら、まずは我々がアメリカの核の傘から離脱することだ。それもできずにいくら祈ったところで、私はあの原爆で命を落とした人々に対する慰霊になるとは思わない。我々自身が勇気を持ってその一歩を踏み出すこと、それ以外に彼らに報いる方法があるのだろうか。

 

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