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2017.11.27 「大西つねきの色々秘話」

大西つねきの週刊動画コラムvol.3

· 週刊動画コラム

皆さん、こんにちは。大西つねきの週刊動画コラム、本日11月27日の動画コラムです。今日はいつもとちょっと趣向を変えて、大体いつもは難しい話ばっかりしてるんですが、今日はそうじゃなくて、私、大西つねきがどんな人間かということをちょっとでも知っていただくために、私の、自分の話をちょっとしたいと思います。子ども時代の頃からちょっと話してみたいと思います。

私が生まれたのは東京荒川区南千住という下町ですね。ちょうど近くに泪橋(なみだばし)という、『あしたのジョー』で有名だった泪橋が近くにある、いわゆるドヤ街といわれるような、日本のスラムですね、そういった場所がすぐ近くにあるような場所で生まれました。家そのものはそういうスラムとはちょっと離れていたんですが、よく本当に道端にそういう人たちが寝ていたりとか、酔っ払いが結構寝ていたりとか、そんなことは日常茶飯事でよく周りにありました。私が生まれたのは1964年、昭和39年、ちょうど東京オリンピックの年です。ですから、そのときにできた首都高とか新幹線は同い年です。みんな現役で頑張ってます。私、生まれたときは南千住の大西の家っていうのは結構おっきな家で、人数も結構多かったんですね。私が生まれたときには私入れて9人家族で、両親、祖父母、それから曽祖父母もいまして、そのほかに私の母親の妹が2人いたので、私入れて9人家族と結構大家族でした。ですから、結構、本当にみんなに構ってもらって、特に私の場合は5代ぶりぐらいの長男だったということもあって、本当にみんなに構われて、かなり幸せな子ども時代を過ごしたんじゃないかと思います。それが今に結構つながってることもあるのかなと思ったりしますが。子どものときの私っていうのは、よく小さい頃は本当にぐずと言われてました。ぐずなんだか、本当に周りのことを気にしないのかわかんないですけど。例えば幼稚園のお迎えのときに、迎えに行ってももう出てこないらしいんですよ、とにかく。本当に出てこない。結局みんながわーっと飛び出して帰ったあとに、みんながいなくなってから最後ゆっくりと出てくると。それで何でかって聞いたら、下駄箱が込むのが嫌だからというふうに言ってたそうなので、多分、三つ子の魂百までとはよくいったもので、いまだにそういう(笑)、混雑を嫌うとか、ほかを一切気にしないとか、本当に自分は自分のやりたいようにやるというのはいまだに同じなのかもしれません。それで地元の小学校を卒業して、今度は中学は巣鴨中学、それから巣鴨高校という、大塚にある私立の男子校に通ったんですが、これが本当に軍隊みたいな学校で(笑)。まあ文武両道とはいいますが、柔道、剣道必修。夏はふんどしで館山で遠泳して、冬は寒稽古、11日間、当時は成人の日なんかも休みとして、祝日としてあったんですが、そういうのは関係なく、土日も祝日も関係なく11日間ぶっとおしで朝6時から稽古をするというようなことをやってるような学校で。それから、春には大菩薩峠を夜中、42キロぐらいですかね、それをずっと歩くみたいな、そういう本当に軍隊みたいな学校で、全く楽しくはなかったんですが、おかげさまでそういういろんな、ものに耐えるというか、そういう試練に耐えるということは結構鍛えられたのかなと、そういった意味ではよかったかなと思ったりもします。柔道も剣道も両方やってるんで、両方一応段は持ってるので、日本男児として一通りのことは、ふんどしでも遠泳しましたし、やったかなというふうには思います。それで大学にいったときにちょっとカルチャーショックで、そういう軍隊みたいな男子校から、私、上智大学にいったんですが、女性がみんな本当に華やかで元気な大学で、ちょっとカルチャーショックにびっくりしたんですが、逆にとても楽しい大学時代を過ごして。その中でシアトル大学に、私、3年のときに留学したんですが、これも本当にひょんなことから、ある日酔っ払って帰ったら先生から電話があって、欠員が出たからいけということで、じゃあいきますということで、シアトル大学に留学しました。そのときの専攻が政治力学みたいなかたちだったんで、恐らくそのときから政治には興味があったんだと思います。これもまた本当に楽しい留学生活というよりも、アメリカの大学で、奨学金はいただけたんですけど、その代わりにキャンパスに神父さんが住んでる宿舎みたいなとこがあって、そこで毎日皿洗いをするという、そういう条件つきで、ほとんど皿洗いと勉強しかしてないような(笑)、留学生活を1年送って、それで帰ってきて、その単位を振り替えて4年間で大学は卒業したんですが。そのあとJPモルガンという銀行で、この話は多分以前もしたと思うんですけど。

あとは結婚の話をちょっとしたいと思うんですけど、私、幸い、今、結婚しておりまして、子どもにも3人恵まれまして、みんな元気で、もうそろそろ一番下がもうすぐ20歳になるんで、もう大体そろそろ仕事は終わったかなというようなところですけれども。結婚のことで、よくこの話をすると皆さんに驚かれるんですが、私、結婚を決めたのがとても早いっていうか、実は私の妻に会う前に結婚を決めていたという。(笑)。この話をすると何のことかと言われるんですが、それはどういうことかというと、彼女ともともと会ったきっかけっていうのが、JPモルガンに勤めていたときに、お互い全然、別々の部署にいたんで知らなかったんですよ、そのときは。ですから、僕も彼女もJPモルガンを辞めたあとに共通の知り合いがJPモルガンに残っていて、その紹介で会ったと。そのきっかけになったのが、週末、彼女の実家のあった高崎のほうに泊まりでゴルフに行くという企画があって、それに誘われたんですね、僕が、その共通の知り合いに。で、たまたま住んでるとこが比較的私の妻と近かったもんですから、車で乗せていってということを言われていて、その連絡があるからというふうに共通の友達に言われていて。週末にゴルフに行く予定のその週の月曜日か何かに電話があったときに、その連絡の電話だったんですけど、うちの妻から初めて電話があったときに、その電話を受けたときになぜか話が弾んでしまって、大体2時間ぐらいしゃべったんですよ。そのときにこれは結婚するなと(笑)、思ったというか、そのとき自分でわかったんですね。月曜日に電話があって、その週の、次の日にすぐ会ったんですかね、火曜、水曜、週末に行くまでに多分2、3回会っていて。で、週末行って帰ってきた日に実はプロポーズしまして。それがちょうど今頃、11月の末ぐらいだったと思うんですけど、それで翌年の2月に結納して、6月に結婚してるんで、かなりのスピード婚ということで、スピード婚自慢なのか何だかわかりませんが(笑)、そんなかたちで結婚して、それでもいまだに、二十数年、26年ですかね、続いているので、本当によかったなと思ってます。

あと、結構、僕が今やってることの、例えば、今、田奈高校のぴっかりカフェというところで、校内カフェのボランティアをしたりとか、この話はまたいずれしたいと思いますけども。それから、今、政治をやってる、ちょっともしかしたら原点っていうか、私に影響を与えた可能性があるというのは、一つ、私の祖父が結構そういう社会的なことに関心が恐らくあった人で、保護司をしていたりとか、保護司っていうのは刑務所から出てきた人たちの社会復帰のお世話をする公的なボランティアなんですけど、保護司をしていたりとか、夜学の、定時制高校の先生をしたりとか、結構そういう社会的に大変な人たちに対して何かをするという、そういったことをやっていた人で。僕も子どもの頃はそういうのよくわからなかったんです。あとでいろんなことを聞いて、ああ、そうだったんだなということが、思い当たることがいろいろあって。本当に毎年ものすごい数の年賀状がうちの祖父のもとには届いてました。大西先生、本当にお世話になりましたっていう、そういう、亡くなってからも随分長い間、本当にたくさんの年賀状が届いていたりとかして。そのことで一つとても不思議なことがあったのは、ちょうど私の長女が生まれた、ちょうど6月だったんですけど、もう私の祖父が亡くなってから十数年、もう15年ぐらいたってた頃だと思うんですけど。うちの娘が生まれて、病院で私はもちろん付き添っていたんですけど、そこにうちの両親が生まれてから来てくれて。で、封筒に、これおじいちゃんからのお祝いって言って、3万円を持ってきたんですよ。しわくちゃの3万円だったんですけど。何かというと、ちょうどうちの娘が生まれた頃に、その同じぐらいの時間に、うちの両親の実家のほうに本当に浮浪者風の人がピンポンっつって現れて、その人が、これは、昔、大西先生に借りた3万円ですって言って、3万円を返してきたらしいんですよ。それが本当にいつだったのか、もう祖父が亡くなってからもう15、6年たってましたから、恐らく本当にそれよりさらに前なんで、もしかしたら20年ぐらい昔の話かもしれないんですけど、その人がそれを、本当に昔お世話になった大西先生にお借りしたものですって、3万円をちょうど私の娘が生まれた、本当にその日のそのぐらいの時間のときに返しに来たという、そんなような不思議なことがありまして。で、うちの両親は、これはもう間違いなくおじいちゃんからのお祝いだということで(笑)、ちょっと、本当にそういうのはよくわからないですけど、そんなようなこともありました。そういう保護司をやっていたりとか夜学の先生をやっていた、そういう祖父の在り方とか生き方みたいなものが、もしかしたら何か影響してるのかなと思ったりもします。

まあそんなような子ども時代とか、そんなような若者時代を通じて今に至るというような感じで、前回話した政治家を志す、そういう大学出て以降の話につながるという、そういった、今日はお話でした。私の話なんかして面白いのかどうかわかりませんが、ちょっとこんなやつがこんなことをやっていますっていうことで、今日は自分の話をしてみました。大西つねきの週刊動画コラム、今週はこんな話で、来週はまたちょっと、まだ考えてませんが、またお楽しみ。ぜひ見てください。よろしくお願いします。

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